ピースフルなチューがしたい

最近思うのは、キスとチューは全然違うなってこと。

キスは、男/女の関係性の中(ヘテロセクシャルに関して)で行われる営みであると思う。そこには性的ないやらしさみたいなものであったり、人工的な不自然さを感じる。

キスはお互いが造りだすものであると思う。創造物と言ってもいいかもしれない。

だから人によって合う合わないがあるのではないかな。

 

一方、ちゅーは可愛らしくて、擬音語チックで、幼児的。今にも抱きしめてあげたいと思ってしまうくらい愛らしい。幼児的と書いたけど、その通りで、『はじめてのチュー』なんて歌もあるが、あれが『はじめてのキス』ではどうだろうか。場末のパブで、おっさんがウイスキー片手にハードボイルドにタバコをくゆらせている画が浮かぶ。一気に大人びた印象を受ける。なんだが身構えてしまう。あの歌のキャッチーさは、イコールで「チュー」というものに対する受け入れやすさでもあると思う。

 

チューもキスも唇を重ねるという同じ行為だ。しかし文字から受ける印象以上の違いがあるように思えてならない。

 

もしかしたら、私達は2通り(チューとキス)の唇の重ね方を持っているのかもしれない。物理的な方法という意味ではなくて内的な動機付けとしての二通り。

 

キスを人口的と書いたが、チューはどうだろうか。

チューは親愛の証であるように感じる。相手のことが性的な意味ではなく、人間として強い親しみを感じた時に「チュー」がしたくなる。心の根本からチューを求めてしまうのだ。相手のことが好きすぎて、自分が持っている愛情表現では足りなくなった時。だからとても自然なものであると思う。底から自然に湧き上がってくる感じ。そこに性別の違いは関係ないように思う。

 

キスはどんな時にしたくなるのだろうか。

「キス」をしたことはある。セックスをする時や、恋人とのキスがそれだ。明らかにそれらはチューではない。特に「ディープ」な時は明らかだ。だって「ディープチュー」なんて聞いたことないでしょう。

「キス」をしている時は、閉じられた世界に没入している感覚がある。視野狭窄で、目の前の相手が「全て」であるように、自己催眠しているような感じ。既に書いたが、不自然なんだ。本能的じゃない。

その時は良いんだけど、終わったあとに「賢者モード」みたいになる。妙な後味の悪さ。言葉にできないのがもどかしい。そして、中毒性がある。

 

中毒性があるものは、たいていロクでもないものだ。

 

コーヒー、タバコ、お酒。中毒性が現れてしまっている時は既に害悪なものになっている。多分キスも同じ。

 

だからキスが好きになれないのか。

 

キスをしたいと思うことはすくないけど、チューをしたいと思うことはたくさんある。

男女問わずある。そんな自分はおかしいのだろうか。それともバイセクシャルなんだろうか。

ただ分かるのは、チューがしたくなるほど、好きな人が沢山いるのはきっと幸せなことなんだろうなってこと。