僕らはみんな『空気人形』

誰にでもどん底はある。10人いたら10人のどん底がある。

僕のどん底は18歳。浪人することが決まった時。

兄からは毎日蔑みの言葉を浴びせられ、両親は完全に自分のことを失敗作であると諦めていた。誰からも何からも必要とされていなかった。

 

灰色の世界で、自分なんて誰からも必要とされてない。生きている意味もない。本気でそう思っていた。

 

そんな鬱状態で、浪人という大事業に乗り出すエネルギーがあるわけなく、ただただ布団に横たわり、天井を見ながら外が暗くなるのを、無感動に眺めていた。

 

そんな時、ある映画に出会った。

『空気人形』という映画だ。

 

空気人形』(くうきにんぎょう)は、2009年日本映画第62回カンヌ国際映画祭ある視点部門で上映された[2]原作業田良家の『ゴーダ哲学堂 空気人形』(小学館刊)。

キャッチフレーズは、“心をもつことは、切ないことでした”空気人形 - Wikipedia

 

この映画は性処理用の空気人形(のぞみ)が、本物の心と身体を持ってしまうという物語だ。

 

心を持ったノゾミは自分の存在の意味を求め始める。

 

性処理の道具としてではなく、一人の人間として。

 

のぞみは外に出て、様々な経験をして、様々な人を見る。

 

余命半年の老人、

若さに取り憑かれた中年OL、

二度と会えない母親の帰りを待つ少女、

ノゾミの恋人になる映画好きの青年。

 

それぞれがそれぞれの「空虚」を抱えていることをのぞみは知る。

 

 「みんな私と同じ。中身は空っぽ。」

 

ノゾミのこのセリフにとことん痺れた。

 

空気人形というのは「他者」に、息を吹き込んでもらわないと、膨らまない。

 

でもこれは、人間も同じなのではないだろうか。

「他者」からの承認があって初めて、「存在」できるんじゃないだろうか。

 

それでは他者からの承認とは、どうすれば得られるのだろうか。

そして他者から承認されていると確信するためにはどうすればいいか。

 

それは他者に「息を吹き込む」ことによってではないだろうか。

 

他者に存在の意味を与える存在。

そんな存在に私達はなりたいんだ。

「誰かから必要とされたい」

誰しもが抱えている思いであると思う。

 

誰からも必要とされていないと感じた時、人は生きていくことができない。

 

私達は息を吹き込む主体であり、息を吹き込まれる客体でもあるのだ。

私達はお互いの身体に息(意味)を吹き入れている。

 

だが物語の最後は残酷な終わり方だ。

 

ノゾミは恋人から、「身体に空気を入れさせてくれないか?」と頼まれる。

了承したノゾミは自らの栓を外し空気を抜く。

そして恋人の息で、自分の身体が満たされていくことに喜びを感じる。

 

そこまではよかった。

 

ノゾミは同じことをしてあげたいと思い、恋人のお腹にナイフで穴を開けてしまう。

もちろん恋人は「本物」の人間なので、穴が開けば死ぬ。

与えようとしたら奪ってしまったのだ。

ノゾミはわけも分からず、セロハンテープで傷を塞ごうとするが、もちろん塞がらない。

青年はノゾミの意図を全て汲み取り、笑顔で逝った。

 

ノゾミは、最後まで意味を与えることができなかった。

命を奪ってしまった存在として、物語の最後を迎えることになる。

 

ここで最後に、劇中で朗読された吉野弘氏の詩を引用して終わりにしたい。

吉野弘 3 生命は

       生命いのちは

 

        生命は

        自分自身だけでは完結できないように

        つくられているらしい

        花も

        めしべとおしべが揃っているだけでは

        不充分で

        虫や風が訪れて

        めしべとおしべを仲立ちする

        生命は

        その中に欠如を抱いだき

        それを他者から満たしてもらうのだ

 

        世界は多分

        他者の総和

        しかし

        互いに

        欠如を満たすなどとは

        知りもせず

        知らされもせず

        ばらまかれている者同士

        無関心でいられる間柄

        ときに

        うとましく思うことさえも許されている間柄

        そのように

        世界がゆるやかに構成されているのは

        なぜ?

 

        花が咲いている

        すぐ近くまで

        虻あぶの姿をした他者が

        光をまとって飛んできている

 

        私も あるとき

        誰かのための虻だったろう

 

        あなたも あるとき

        私のための風だったかもしれない

                      詩集『風が吹くと』1977年

 

 

水の線路 / 生命は world's end girlfriend - YouTube