どん底とは

ひきこもりや不登校児の支援活動をしていると驚かされることが多い。

 

何に驚かされるって、彼らの根本にある「強さ」にだ。

 

はっきり言って、引きこもりの人たちは対人関係が得意である人は少ないし、彼らも自覚している。

それでも、もう一度傷つけられると知っていながら、自分が取り返しがきかないほど年齢を重ねてしまったと理解しながらも、それでもまた上を見上げ、歩きだす。

 

「男の真価は勝ったときではなく、負けたとき分かる」

フィル・ヒースというボディビルダーの言葉だ。

 

就職活動にぶち当たって、この言葉の意味がよくわかった。

 

目標を達成することより、失敗した後に立ち上がることのほうがずっと難しい。

 

たいていの人間は「自分なんかどうせダメだ」って保険掛けて逃げたくなるし、同じような辛い思いなんてしたくないからアレコレ理由をつけて挑戦することをやめる。

 

今の自分がそうだ。はっきり言って絶望している。

早稲田大学に入って、そのまま大企業に就職し、中上流の暮らしができるものだと思っていたし、それ以外ありえなかった。

でも、就職活動を通して、等身大の自分ってものが見えてきたし、それは想像の自分とは遥かにちっぽけで、まだ受け入れることができないでいる。

 

そんなふうに悲観的なことばかり考えてしまうが、果たして自分には絶望する資格があるのか。また絶望する必要があるのか。そんなことを考えるようになった。

 

そもそも絶望とは、希望が絶たれた状況のことを言う。

でも本当は「希望なんて無い」って思いたいだけで、そう思うことで現実と理想のギャップを否定的に受け入れようとしているだけなんじゃないだろうか。

絶望っていうのは、何も考えなくていいし、エネルギーも使わないから楽なのだ。

 

だから絶望しているってことは、人生から逃げてることと同じだと思う。

人を絶望にするのは状況じゃなくて、人生に対する気構えなんじゃないかな。

絶望は受動的なもの、希望は能動的なもの。